高気密高断熱の家を建て、そして住んで。

~ことについての個人的意見、見解、評価を。

三寒四温

 こんにちは
 暖かい と感じていたと思いましたら
雪が降って来ました。この土曜日の私の住まう
地域。
 もう、春になるだけ・暖かくなるだけと
勝手に思い込んでいたわけですが
自身の知見は本当に小さいですね。
 なんでも、明日は、朝はこの地域は氷点下の
朝の予報のようです。
 日中は暖かくなるらしいので、ほっとしています。


 本当に、人間の知見はちっぽけなのではありませ
んか、思い知るというか、自身の小ささを思い
出します。


 ゆえに、何事にも、自分が正しいなどと傲慢を
振りかざさずに、穏やかに歩みたいものですね。


 例えば、実務者が、同じ実務者を卑下すると
したら、関係のない第3者からしてみれは、
目くそ鼻くそを笑うにしか見えないのではない
のでしょうか(実は、いろいろと その実務者
同士では、事と、場合によってはそういうもの
ではないのかもしれませんが。)
 
 こうした事実を見てしまうと、コンシュマー
からしてみれば、果たして、それらの者、一括り
信用に足るのか?ということになるのではないの
かなぁと
 わたしなんぞは、思います。
 
 ところで、施主は、自信の思考、論理、方向性
を自分が信じたい方向性にべクトルをしっかり
と定めて、全てに当たることが必要だと思いま
す。
 「絶対」が無い世界と私は思うので
家を建てるということ、そこに住むということ
について。
 
 辛口でえらそうに書きますと、
 所詮、図面屋さんは図面屋さんですし、
 構造屋さんは構造屋さん、
 実務者さんは実務者さん、で、皆、
とある部分が他人より秀でているに過ぎません。
 図面屋さんが、実務を行う大工さんを
卑下しても、では、代わりに大工仕事全てを代替する
ことできるのでしょうか?
 構造屋さん
 基礎屋さん


 部分部分の、ぞれぞれを担った方々が
しっかり、自らがなすべきことを、為す
ことで、建物は完成するのではないので
はないかと
 私は、思います。


 施主は、その、秀でている部分に対して
対価を支払っているだと思うのです。
 
 それらを束ねるのは、指示するのは、
お金を払う雇い主なのです。
 請負契約は、引き渡すまでは、受託者の
ものなのかもしれませんが、やはり、受託
者に対価を支払う委託者が束ねているという
ことになるようなようになるのがよいのかな
と。
 だからといって、傲慢になっては、その
秀でている方達の知見を得ることが出来ない
のだと思います。
施主は、それぞれを、きちんと俯瞰し、
 信頼するなり
 指示するなり
 任せるなり
する立場です。


 本来なら、彼らが適切な説明、支持、
アドバイス、作業を、を行うのは当然
のことなのですが。
 
そうなっていないことが多いから
いろいろと、問題がおきるのかなぁと


ゆめ、ゆめ、自身、ちっぽけな一人の人間
であること、忘れず生きていきたいものです。

春は、やはり、もうすぐそこに来ている
ようです。

早く、空調切れるとよいなぁと
×

非ログインユーザーとして返信する